2005年12月、長野県の丸子実業高校(現・丸子修学館高校)バレーボール部に所属していた1年生男子生徒が自宅で自ら命を絶った「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」は、いじめと家庭環境、そして学校と保護者の対立が複雑に絡み合ったことで全国的な注目を集めました。
この事件を徹底取材し、加害・被害の構図が揺れ動く実態や、母親と学校側の激しい対立を描いたノンフィクションが石川結貴著『モンスターマザー―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』です。また、事件をモチーフに、家庭や学校に潜む問題や「毒親」と子ども、教師の葛藤を描いたドラマ『明日の約束』も制作され、社会に大きな波紋を広げました。
バレーボール部でのいじめがあったのか、それとも母親による過干渉や虐待が生徒を追い詰めたのか――。真相をめぐる議論は今も続いており、この事件は学校・家庭・社会の責任を問い続けています。
【丸子実業高校バレーボール部員自殺事件】について

事件の背景
自殺直前の行動
高山裕太君(当時1年生)は、バレーボールの名門校である丸子実業高校に入学し、部活動に励んでいました。しかし、中学時代から声帯に異常があり、大きな声を出すことが難しい障害を抱えていました。母親の主張によれば、裕太君は部の応援練習や日常のやりとりで声が出せず、上級生から声真似をされたり、ハンガーで頭を叩かれるなどの行為を受けていたとされています。

裕太君は「バレーボール部の上級生からいじめを受けている」とした手紙を学校や県教育委員会に提出し、母親も部活動の時間制限を強く求めました。しかし、学校や部の保護者会は「いじめはなかった」と主張し、母親の度重なる介入や制限要求が部員同士の関係を悪化させたとも指摘されています。
夏ごろから裕太君は不登校気味になり、うつ病と診断されていました。自殺前には何度も家出を繰り返し、事件直前には出席日数不足による「このままでは進級できない」という学校からの通知を受け、その直後に自殺に至りました。
母親は「バレーボール部のいじめが原因」とする遺書が残されていたと主張していますが、遺書には「お母さんがねたので死にます」と書かれていました。この「ねた」という言葉については、「寝た」と読む以外に、「やだ(嫌だ)」と読む説もあり、長野の方言では「やだので=嫌だから」という意味になるとも指摘されています。実際、裕太君のノートには「やだかった」といった言い回しも見られ、遺書の解釈をめぐっては大きな論争となりました。

複雑な家庭環境
裕太君の家庭環境は非常に複雑でした。母親は3度の離婚歴があり、シングルマザーとして裕太君を育てていましたが、職場や地域、ママさんバレーボールチームなど、行く先々でトラブルを繰り返していたとされています。幼少期から母親による育児放棄や虐待が疑われ、「死ね」と罵倒されるなど精神的な負担を受けていたともと述べられています。
裕太君は家事全般を担い、通学時間が90分もかかる中で学校に通うこと自体が難しい状況でした。担任との面談では「学校に来たいし部活もしたい」と訴えていましたが、家庭の負担が大きくのしかかっていました。また、裕太君は自殺前に何度も家出を試みており、そのたびに母親は学校に捜索を依頼し、家出を担任の責任だと主張して大量のビラを作らせたり、校長や教頭に謝罪を求めるなど、学校側に強く働きかけていました。
こうした状況を受け、長野県教育委員会や児童相談所は、裕太君への虐待やネグレクト(育児放棄)を疑い、母子分離措置を計画していた矢先に自殺が起きたとされています。
裁判と社会的反響

事件は、遺族と学校側が法廷で激しく対立したことで、社会的にも大きな注目を集めました。2005年12月、母親は「いじめ自殺」として学校や部活動の責任を徹底的に追及し、校長を殺人罪で刑事告訴、上級生やその保護者、監督、県を相手取って損害賠償請求を起こしました。
母親の主張
母親は、息子がバレーボール部の上級生からいじめを受けていたことが自殺の直接的な原因であり、学校や部活動の責任を明確に問う姿勢を崩しませんでした。息子が残した「いじめを苦にしたメモ(遺書)」を証拠とし、うつ病診断書を3回も提出していたにもかかわらず、校長が「欠席が続くと進級が難しい」と通知したことが息子を追い詰めたと主張。バレーボール部の上級生・保護者・監督・校長・県を相手取り損害賠償請求と校長を殺人罪で刑事告訴するなど、徹底的に争いました。
学校側の反論
学校側は「いじめとは考えていない」と明言し、母親が訴える暴力やいじめと学校側の認識には大きな違いがあったと説明。上級生の声真似やハンガーで頭を叩いた行為についても「いじめ」ではなく部活動内のふざけやコミュニケーションの一環としました。
また、母親の度重なる要求や抗議、ビラ配りや謝罪の強要が学校や部活動の雰囲気を悪化させたと主張。保護者会は「いじめはなかった」との見解を示し、逆に母親からの誹謗中傷・虚偽情報拡散で精神的苦痛を受けたとして逆提訴しました。
判決結果(2009年)
2009年3月6日、長野地方裁判所は丸子実業高校バレーボール部員自殺事件について判決を下しました。裁判所は、生徒の母親が主張した「バレーボール部でのいじめが自殺の原因である」という訴えを認めず、逆に母親がバレーボール部員や監督らに対して損害賠償を支払うよう命じました。判決では、上級生がハンガーで頭を叩いた行為については1万円の賠償を命じたものの、学校生活や部活動が自殺の主因であったとは認定しませんでした。
母親は判決を不服として控訴しましたが、同年10月に取り下げたため、地裁判決が確定しました。この結果、当初「いじめ自殺」の遺族とされた母親が、最終的に「加害者」として損害賠償責任を負うという、極めて異例の“関係逆転”が生じました。

メディアの偏向報道
事件では、メディアによる偏向報道が社会的な混乱と誤解を大きく拡大させました。事件発覚当初から、多くのテレビや新聞が母親の「バレーボール部でのいじめが自殺の原因」という主張を大きく取り上げ、母親は実名・素顔で涙ながらに取材に応じ、自宅にテレビカメラを入れて「息子は部内いじめで自殺した」と強調しました。
さらに、母親が校長を殺人罪で刑事告訴した際には、弁護士が記者会見で校長の実名を公表し、「校長を殺人罪で告訴」というセンセーショナルな見出しが新聞やテレビで流れ、学校や部活動が一方的な加害者であるかのようなイメージが定着しました。
しかし、後の裁判やノンフィクション作家・福田ますみ氏の調査で、母親の主張には誇張や虚偽が多く含まれていたこと、家庭環境や母親自身の問題も明らかになりました。最終的には母親の訴えは認められず、逆に損害賠償責任を負うという異例の展開となりました。
【丸子実業高校バレーボール部員自殺事件】の関連書籍・ノンフィクション
『モンスターマザー長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』福田ますみ

『モンスターマザー―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』は、息子を自殺で失った母親の姿を通じて、恐ろしい「怪物」の実態を描き出す衝撃的なノンフィクションです。母親の攻撃的な言動や、時に事実を歪めてまで周囲を追い詰める姿勢が、学校関係者や生徒たちを精神的に追い込んでいく様子が克明に描かれています。さらに、メディア報道が過熱し、学校への誤解や二次被害が拡大していく過程も印象的です。
本書の特徴は、著者・福田ますみが幅広い関係者に徹底取材した点にあります。取材対象は、母親本人、学校関係者(校長・教頭・担任教師・バレーボール部顧問など)、バレーボール部の部員やその保護者、児童相談所や教育委員会の担当者、母親の元夫(2番目・3番目の夫)、母親の代理人弁護士や支援者、精神科医、マスコミ関係者、地域住民など多岐にわたります。また、裁判記録や報道資料も精査し、事件の全体像を多角的に検証しています。
単純な「いじめ自殺=学校が悪い」という構図では語れない事件の複雑さ、そして「正義」や「被害者像」がいかに簡単に反転し、誰もが加害者にも被害者にもなりうる現実の怖さが浮き彫りになります。
『明日の約束』2017年・カンテレ/フジテレビ系

ドラマ『明日の約束』は、井上真央演じるスクールカウンセラー・藍沢日向が、高校で起きた男子生徒の不可解な死の真相を追うヒューマンミステリーです。このドラマは、実際に起きた「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」とノンフィクション『モンスターマザー』を原案に、いじめ、親子関係、報道被害、そして“正義”の暴走といった現代社会の問題を鋭く描いています。
物語は、不登校の男子生徒・吉岡圭吾が「好きです」と日向に告白した翌日に謎の死を遂げるところから始まります。圭吾の母親は「いじめが原因」と学校を激しく非難し、メディアや世間も巻き込んで騒動は拡大。やがて圭吾の死をめぐる“犯人探し”が始まり、学校や家庭、バスケ部、そして母子関係に潜むさまざまな闇が明らかになっていきます。
【丸子実業高校バレーボール部員自殺事件】まとめ

「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」は、単なるいじめ事件の枠を超え、現代社会が抱える複雑な問題を浮き彫りにしました。この事件から学ぶべきは、正義や被害者像がいかに容易に反転しうるかという現実です。
母親の行動は「子どもを守る」という正義から出発しながら、やがて周囲を傷つける加害者へと変貌しました。メディアや社会の過剰反応が真実を見えにくくし、誰もが無意識に加害者になりうる危うさを痛感させられます。
他人事ではいられない、情報リテラシーと冷静な事実認識の重要性を改めて問いかける事件です。
■明日の約束
チャンネル:カンテレ/フジテレビ系(2017年)
ジャンル:ヒューマンミステリー(全10話)
キャスト:井上真央、及川光博、工藤阿須加、手塚理美、仲間由紀恵
配信サービス:明日の約束(国内ドラマ / 2017) – 動画配信 | U-NEXT 31日間無料トライアル
明日の約束 | Hulu(フールー)