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嫉妬が生んだ悲劇と“人気者”の宿命「川崎中1男子生徒殺害事件」

被害者の上村遼太さん(事件当時13歳)

2015年2月20日未明、神奈川県川崎市川崎区の多摩川河川敷で、中学1年生の上村遼太さんが、同年代の少年3人から1時間以上にわたり執拗な暴行を受け、カッターナイフで首や顔など全身43カ所を切り付けられて命を奪われました。

首の周辺だけでも31カ所に及ぶ深い傷、全裸で川を泳がされる屈辱――その残虐な手口は全国に大きな衝撃を与えました。

事件の発端は、リーダー格の舟橋龍一が「別の暴行を上村さんが告げ口した」と疑ったことにあり、グループ内の支配関係や逆恨み、そして被害者が抜け出せない苦しみが背景にありました。

この事件の経過や背景、加害者・被害者双方の家庭環境や社会の問題を、丹念な取材と証言で描いたノンフィクションが石井光太著『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』です。

本書は、なぜ上村さんが狙われ、なぜ誰も止められなかったのか、そして現代社会が抱える孤立や嫉妬、家庭や地域の課題を浮き彫りにしています。

本記事では、事件の全貌とともに、書籍『43回の殺意』で明らかになった深層や社会への問いかけにも触れながら、川崎中1男子生徒殺害事件の真実に迫ります。

目次

【川崎市中1男子生徒殺害事件】について

事件の経緯

事件の現場となった多摩川河川敷

被害者の上村遼太さん(当時13歳)は、5人きょうだいの二男として生まれ、幼少期は父親が漁師をしていた島根県で過ごしました。

小学3年生のときに両親が離婚し、母親ときょうだいたちとともに川崎市へ転居します。母親はシングルマザーとして朝から夜遅くまで働いており、上村さんを十分に見守ることが難しい状況でした。

小学校5年生で川崎に転校した上村さんは、中学入学後バスケットボール部に所属していました。しかし、中学1年の冬ごろから不良グループと関わるようになり、次第に学校や部活動からも足が遠のいていきます。

2014年12月ごろ、主犯格の舟橋龍一(当時18歳)と知り合い、年明けから舟橋による暴力を受けるようになりました。上村さんは「グループから抜けたいが逃げられない」と友人に漏らしていましたが、報復を恐れて真実を語ることができませんでした。

2015年2月19日夜、舟橋はLINEで上村さんを呼び出し、深夜に多摩川河川敷へ連れて行きます。舟橋と2人の17歳の少年は、上村さんを取り囲み、1時間以上にわたり執拗に暴行を加えました。

上村さんは全裸にされ、真冬の川を泳がされるなど屈辱的な行為を強いられ、カッターナイフで首や顔を含む全身43カ所を切り付けられるなどして致命傷を負い、死亡しました。

検察によると、暴行後もしばらくは生きていたとされ、上村さんは極寒の河川敷に裸で放置され、最期を迎えたとみられています。犯行後、加害少年たちは証拠隠滅のため、上村さんの衣服を近くの公園のトイレで焼き捨てました。

事件の動機

顔に残る濃い紫色の痣

主犯格の舟橋は、「上村さんが周囲から慕われているのがむかついた」と供述しており、犯行の根底には嫉妬や逆上の感情があったとされています。

上村さんは転校生でありながら明るい性格で、年上の先輩たちから“弟分”のように可愛がられ、グループ内でも自然と中心的な存在となっていました。

こうした上村さんの人望が、舟橋に強い劣等感や嫉妬心を抱かせ、敵意を募らせる要因となっていたのです。

2015年1月には、横浜市の駐車場でLINEの返信が遅いことを理由に、舟橋が上村さんに10分以上暴行を加え、顔に痣が残るほど殴るなど、日常的に暴力がエスカレートしていきました。

この暴行を知った上村さんの知人らが舟橋の自宅に抗議に訪れたことで、「チクられた(告げ口された)」という逆恨みが爆発し、舟橋の敵意は決定的なものとなりました。

共犯の少年2人は、舟橋に呼び出されて現場に同行し、「お前もやれ」と命じられて上村さんに危害を加えたと供述しています。彼らは、主犯格である舟橋に巻き込まれる形で犯行に加わった側面が強いとみなされています。

事件発覚とその後

翌朝、多摩川河川敷で通行人の女性が、草むらに倒れている若い男性を発見し、近くにいた男性を通じて110番通報しました。

警察は現場周辺の防犯カメラ映像やLINEの記録をもとに捜査を進め、2月19日の夜に加害少年の一人が上村さんを呼び出していた事実を突き止めます。これらの状況証拠から、警察は舟橋と共犯の少年2人に容疑を絞り込みました。

2月27日、舟橋は母親と弁護士とともに川崎署に出頭し、同日昼には共犯の2人もそれぞれ逮捕されました。舟橋が出頭したのは、警察の捜査が進展し、逮捕が避けられない状況となったことから、母親や弁護士の助言・説得によるものとみられています。

裁判では、舟橋には殺人罪で懲役9年から13年、他の2人には傷害致死罪でそれぞれ懲役4年から6年半、6年から10年の不定期刑が言い渡されました。

加害者たちのその後の社会復帰状況は明らかになっていませんが、2025年時点では仮釈放の可能性も指摘されています。

加害者の生い立ち

家族とバーベキューを楽しむ舟橋

主犯格の舟橋は、日本人のトラック運転手の父親と、フィリピン人で元ホステスの母親の間に生まれたハーフで、姉が2人いる家庭で育ちました。

家庭は一見仲が悪いわけではありませんでしたが、両親のしつけは非常に厳しく、父親は言うことを聞かないと拳で殴ったり、足で顔を蹴ったり、6時間も正座させることがあり、母親もハンガーで殴るなど体罰が日常的に行われていました。

舟橋は小学校時代から「フィリピン」とからかわれ、同級生からいじめを受けていました。家にも学校にも居場所がなく、近所のゲームセンターに入り浸り、不良グループのパシリや年下グループからも目をつけられ、不登校気味になっていました。

自分より弱い子どもたちを従えて威張る一方で、同年代の友人はほとんどおらず、強い者には逆らえないという態度が目立っていたといわれています。

中学卒業後は定時制高校に進学したものの中退し、未成年ながら喫煙や飲酒、暴力事件などの前歴もありました。

事件前の加害者3人

主犯以外の2人も、同じく川崎区周辺で育ったフィリピン人の母親と日本人の父親を持つハーフで、複雑な家庭環境や貧困、親の放任やしつけの厳しさなど、安定した家庭基盤を持たずに成長したことが指摘されています。

うち1人は発達障害の傾向があり、グループ内でも自分の意志を強く主張するタイプではなく、主犯格に強く影響されやすい立場でした。

2人とも学校や地域で目立つ存在ではなく、同年代の友人が少なく、年上や年下のグループに巻き込まれやすい性格だったという証言もあります。

【川崎市中1男子生徒殺害事件】の関連書籍

『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』石井 光太

43回の殺意―川崎中1男子生徒殺害事件の深層―』(石井光太著)は、事件の全貌と背景を、丹念な取材と証言で描いたノンフィクションです。

本書は、事件の経過を克明に再現します。上村さんは首だけで31カ所もの傷があり、死因は出血性ショックでした。

加害少年たちは、もともと不良グループとしてつるむ中で知り合い、家族や学校、社会の中で孤立し、居場所を失った末に「疑似家族」のような関係を築いていました。

事件の背景には、加害者・被害者双方の家庭環境や、学校でのいじめ・孤立、地域社会の無関心、そして少年たちの貧困やDV、育児放棄といった複雑な問題が絡み合っています。

裁判では、加害少年たちが互いに責任をなすりつけ合い、反省の色を見せない姿も描かれています。また、事件後にはインターネット上での「犯人捜し」の過熱や、現場に1万人近い人々が献花に訪れるなど、社会の反応も詳細に記録されています。

【川崎市中1男子生徒殺害事件】まとめ

事件現場に捧げられた色とりどりの献花

『川崎市中1男子生徒殺害事件』は、単なる残虐な少年犯罪として片付けられるものではなく、社会の構造的な問題を浮き彫りにしています。

加害少年たちは、いじめや貧困、家庭内での暴力や放任などに苦しみ、社会の中で居場所を失っていた子どもたちでした。被害者の上村さんもまた、家庭の事情による孤立から、不良グループに関わることで居場所や帰属意識を求めていたことが伝わってきます。

書籍『43回の殺意』は、なぜ誰もこの悲劇を止められなかったのか、なぜ少年たちがここまで孤立してしまったのかを問いかけ、現代社会が抱える課題を鋭く突きつけています。

この事件を「不良の犯罪」として終わらせるのではなく、子どもたちの孤立や家庭・地域の問題、そして社会の無関心について改めて考え直す必要性を強く感じさせられる内容です。

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