MENU

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」40日間の監禁と暴行、加害者たちの素顔と社会が問われた“戦後最悪の少年犯罪”

女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者たち

1989年、東京都足立区綾瀬で発覚した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、今なお「日本犯罪史上最悪の少年犯罪」として語り継がれる衝撃的な事件です。

当時17歳の女子高生が、不良少年グループに拉致され、約40日間にわたり監禁されました。その間、暴行や性的虐待を繰り返され、最終的に命を奪われました。この事件は、少年犯罪の深刻さだけでなく、家庭や教育の問題、被害者の人権についても社会に大きな議論を呼び起こしました。

この事件の全貌や加害者たちの生い立ち、家庭環境、犯行の背景を詳しく描いたノンフィクションが、佐瀬稔による『女子高生コンクリート詰め殺人事件』です。本書は法廷記録や関係者への綿密な取材をもとに、なぜこのような悲劇が起きたのかを明らかにし、現代社会が抱える課題を浮き彫りにしています。

目次

【女子高生コンクリート詰め殺人事件】について

被害者の古田順子さん(当時17歳)

事件の経緯

拉致・監禁の発端
被害者の女子高生・古田順子さん(当時17歳)は、父・母・兄・弟の5人家族で育ちました。幼い頃から聡明で礼儀正しく、近所でも評判の良い子どもでした。高校生活では、卒業旅行の資金を貯めるため、放課後に週2回プラスチック成型工場でアルバイトをしていました。

1988年11月25日の夕方、埼玉県三郷市でアルバイト帰りの順子さんは、不良少年グループに目をつけられてしまいます。主犯の宮野裕史(当時18歳、少年A)と湊伸治(当時16歳、C)は原付バイクで徘徊し、AがCに「蹴飛ばしてこい」と指示。Cは自転車で帰宅中の順子さんをバイクで追い抜きざまに蹴り、彼女を側溝に転倒させました。

その後、Aは親切を装って順子さんに近づき、「さっき蹴ったやつは危ない奴だ。送ってあげる」と言葉巧みに誘い、順子さんはAのバイクの後部座席に乗ってしまいます。しかし途中でAは態度を変え、「自分はヤクザの幹部だ。言うことを聞けば命は助ける」と脅した上でホテルに連れて行き、強姦しました。

その後、A、B(小倉譲・当時17歳)、C、D(渡邊恭史・当時17歳)の4人は、順子さんを東京都足立区綾瀬のC宅に監禁。「ヤクザに狙われているから匿ってやる」と脅して、逃げられない状況に追い込みました。順子さんは約40日間にわたり、監禁・暴行・虐待を受け続けます。

監禁されていた東京都足立区綾瀬の家

監禁と暴行の日々
C宅は東京都足立区綾瀬にある普通の住宅で、両親は共働きだったため家にいる時間が少なく、C自身も家庭内暴力を振るうなど家庭環境に問題がありました。そのため家族の目が行き届かず、Cの部屋は不良仲間のたまり場になっていて、親は子どもが家にいるかどうかも把握できていませんでした。

順子さんはこの家の2階の部屋に監禁され、日々、想像を絶するような暴力や性的虐待を受け続けました。彼女が耐えた暴力の具体的な内容は、以下の通りです。

  • ゴルフクラブや鉄アレイ、瓶などで激しく殴打された。
  • 顔や肋骨、手足など全身の骨が折れるほどの激しい暴行を繰り返し受け、内臓にも深刻な損傷を負わされた。
  • 複数の加害者やその知人による集団レイプが日常的にされた。
  • 性的なポーズを取らされる、自慰行為を強制されるなど、屈辱的な行為を強いられた。
  • 性的虐待の様子を他の加害者や知人に見せられ、加害者同士で嘲笑された。
  • 食事や水はほとんど与えられず、極度の栄養失調と脱水状態にされた。
  • ライターオイルをかけて火をつけたり、タバコの火を押し付けたりするなどして、ひどい火傷を負わされた。
  • 点火した蝋燭から垂れた熱いロウを顔にかけられ、顔全体をロウで覆われた。さらに、両まぶたの上に火のついた短い蝋燭を立てられた。
  • 裸のまま寒い部屋に放置されたり、排泄を強制し、それを嘲笑された。
  • 排泄を紙パックにさせられ、尿をストローで飲まされた。
  • 生きたゴキブリや排泄物(大便)を無理やり食べさせられた。
  • 乳房に数本の裁縫針を刺された。
  • 性器や肛門に瓶やライター、花火などの日用品や火のついた物を無理やり挿入された。
運動会に参加する古田順子さん

また、順子さんは家族に「彼氏の家にいる」と嘘の電話をかけさせられ、家族の捜索を妨害されていました。常に加害者たちの監視下に置かれ、外部との接触や逃亡の機会もありませんでした。

12月末、Cの母親が2階に少女がいることに気付き、「食事をあげるから出てきなさい」と声をかけて順子さんを1階に降ろし、「家に帰りなさい」と注意しましたが、Cがすぐに順子さんを連れ戻してしまいました。その後、Cの母親はCから暴力を受けたため、異常な状況に気づきながらも警察への通報や救出のための行動は取りませんでした。

順子さんは最終的に極度の衰弱と重傷を負い、体重は本来の51kgから35kgにまで激減しました。鼻が詰まって口呼吸しかできず、歯もすべて抜け落ち、髪も完全に失われていたとされています。自力で立ち上がることができないため、床に横たわったまま動けない状態でした。

最期の暴行では、20キロを超える重りを体に落とされるなど、2時間にわたる集団リンチを受け、大量出血と衰弱で亡くなりました。

東京都江東区若洲の遺体遺棄現場

遺体はドラム缶にコンクリート詰めにされ、東京湾の埋立地に遺棄されました。事件が発覚したのは、加害者が別の事件で逮捕され、自供したことがきっかけです。発見された遺体は損傷が激しく、家族でさえも識別が困難なほど変わり果てていたと報じられています。

加害者たちの生い立ちと出所後

主犯格4人は逮捕・起訴され、懲役4~20年の刑を受けましたが、すでに全員が刑期を終えて出所しています。

報道陣のカメラに顔を隠すAの母親

主犯格A(宮野裕史/現在は横山裕史)
宮野裕史は1970年4月30日生まれで、父・母・妹の4人家族として育ちました。父親は証券会社に勤め、母親はピアノ講師という裕福な家庭環境でしたが、家庭内は決して円満ではありませんでした。父親は外に愛人を作り、ほとんど家に帰らず、両親の喧嘩が絶えない家庭で育ちました。

そのため母親が一人で育児と仕事を両立しなければならず、宮野は幼少期から家族で食事をした記憶がないと語っています。母親からは時に厳しいしつけと称した体罰を受けており、愛情に飢えた幼少期を過ごしました。

さらに、小学校1年生の時に妹が誕生すると、父親は妹ばかりを可愛がり、欲しいものを買い与えるなど明らかな愛情の差がありました。宮野にはほとんど目を向けず、妹と自分への扱いの違いを強く感じていたとされています。このような家庭内での愛情格差や孤独感が、宮野の人格形成やその後の非行に影響を与えたと指摘されています。

中学時代は柔道部に所属していましたが、高校ではいじめや体罰が原因で中退。その後は暴力団関係者と関わるようになり、非行に走っていきました。

主犯格Aの現在とされる写真

2009年に出所後、養子縁組で名字を変えました。2013年には振り込め詐欺事件で逮捕されましたが、不起訴処分となり釈放されています。その後もマルチ商法や詐欺行為で資金を得ていたとされ、2017年ごろには高級腕時計やブランド品を身につけ、高級車を乗り回す姿が目撃されました。これらの様子は「実話ナックルズ」にスクープされており、情報提供者である“弟分”の証言によって明らかになりました。現在は行方不明となっており、居場所や生活状況は分かっていません。

準主犯格B(小倉譲/後の神作譲)
小倉譲は1971年5月11日、東京都足立区で生まれました。両親と姉の4人家族でしたが、小学3年生の頃に父親が愛人を作って家を出て行き、母親と姉との3人暮らしとなります。母親は水商売で生計を立てており、家庭での時間は限られていました。

小学校では野球、中学校では陸上に励む普通の少年でしたが、スキーで足首を骨折したことをきっかけにスポーツができなくなり、成績も低下。私立高校に進学したものの、身長180センチという体格が目立ったことでいじめに遭い、不登校となり最終的に中退しました。この頃から母親への暴力が始まり、不良仲間と付き合うようになります。事件に関与するきっかけは、主犯格の宮野裕史との出会いでした。

再犯後、インタビューに応じる準主犯格Bの母親

1998年に出所後、パソコン関連の仕事などに就いたものの長続きしませんでした。2004年には拉致・監禁・暴行事件で再び逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けています。その後は母親と同居しながらアルバイトをしていたとされますが、2022年7月16日、自宅のトイレで孤独死しているところを発見されました(享年51歳)。死因は、便器とタンクの間に頭が挟まり嘔吐したことによる窒息死とみられています。

Cが再逮捕された際のニュース映像

C(湊伸治)
湊伸治は1972年12月16日生まれで、父・母・兄の4人家族です。父親は診療所の医療事務長で薬剤師、母親は看護師長で、両親とも医療関係者でした。共産党の幹部でもあり、家は裕福でしたが、父親は仕事と党活動で多忙を極め、子育てにはほとんど関心を持たず、酔うと子どもたちに暴力を振るいました。

成長するにつれ、湊自身も両親に暴力を振るうようになり、家庭内の関係はさらに悪化しました。家族間のコミュニケーションは希薄で、湊は「小学生になってから両親と一度も食事をしたことがない」と供述しています。被害者が監禁されたのは、この湊の自宅でした。

1990年代半ばから後半にかけて出所し、その後結婚して子どももいるとされています。出所後は東京都内のウィラサクレック・ムエタイジムに通い、プロとして2試合に出場しましたが、事件の過去が周囲に知られるようになり、試合のたびに「コンクリ」と野次を浴びせられるなどして、短期間で引退しました。その後は運送業などに従事していたとみられます。2018年8月には埼玉県川口市で男性を警棒で殴り、ナイフで刺すという殺人未遂事件を起こし、逮捕されました。

D(渡邊恭史)
渡邊恭史は父・母・姉の4人家族でしたが、両親は彼が幼い頃に離婚し、その後まもなく父親は事故で死亡しています。母親は元美容師でしたが、離婚後は生活保護を受けながら時計部品の工場でパートをして子どもを育てていました。経済的に苦しい生活を送り、家族との関係も希薄でした。事件後、母親は渡邊との面会を拒否し、姉が代わりに面会や差し入れをしていたとされています。

1996年に出所した後、しばらくの間は母親と同居していたことが確認されています。少年院ではいじめに遭い、出所後は引きこもりがちに生活していたようです。その後、溶接工や空調設備作業員などの職を転々とし、現在は神奈川県横浜市金沢区のアパートで姉夫婦と暮らしているという情報があります。目の病気を患い、生活保護を受けながら暮らしているとされ、結婚歴はなく独身である可能性が高いとみられています。事件の主犯4人の中で唯一、再犯歴がない人物です。

【女子高生コンクリート詰め殺人事件】の関連書籍

『女子高生コンクリート詰め殺人事件 』佐瀬稔

『女子高生コンクリート詰め殺人事件』は、東京都足立区で起きた凄惨な事件を、裁判記録や関係者の証言をもとに詳しく描いたノンフィクションです。事件を起こした16~18歳の4人の少年たちの生い立ちや家庭環境、親子関係、犯行時の心の動きに焦点を当てていて、少年犯罪の背景にある闇や家庭・教育の問題点を浮き彫りにしています。

事件の残虐さだけでなく、なぜこんな事件が起きてしまったのか、現代の子育てや学校教育の課題としても考えさせられる内容で、社会に対する警鐘のような一冊です。

読んでみて感じたのは、被害者の壮絶な苦しみと同時に、加害者たちもまた複雑な家庭環境や社会の問題を抱えていたことがよくわかるということです。ただ、加害者寄りに書かれている印象もあり、被害者や遺族の気持ちを考えると複雑な気持ちになりました。事件の背景を知ることで、単なる凶悪事件として片付けられない、深い社会問題があることを痛感します。読むのは決して楽な本ではありませんが、現代の少年犯罪を理解するうえでとても重要な作品だと思います。

【女子高生コンクリート詰め殺人事件】まとめ

多くの人が集まった順子さんの葬儀

この事件は、被害者である古田順子さんが、ほんの些細な偶然から不良少年グループに目をつけられ、巧妙な嘘と暴力で拉致・監禁され、40日以上もの間、想像を絶する暴行や虐待を受け続けた末に命を奪われた、戦後日本でも最悪レベルの少年犯罪です。加害者たちは家庭や学校、地域社会の中で孤立や問題を抱えていたものの、それが許される理由には決してなりません。事件の残虐さ、被害者の苦しみ、そして加害者のその後や社会の対応を見ても、少年法や更生のあり方、家庭や教育の役割など、私たちが考え続けなければならない課題が浮き彫りになります。

この事件を振り返ることはつらいですが、同じような悲劇を繰り返さないためにも、社会全体で被害者の尊厳を守り、加害者の背景や再犯防止、そして家族や教育現場の責任についても真剣に向き合う必要があると強く感じました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次