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「家族不適応殺」新幹線を襲った“無敵の人”――東海道新幹線車内殺傷事件と小島一朗の生い立ち

東海道新幹線『のぞみ265号』

2018年6月9日夜、東海道新幹線「のぞみ265号」の車内で、乗客を震撼させる無差別殺傷事件が発生しました。走行中の密室で突然鉈を振るった犯人・小島一朗(当時22歳)は、面識のない3人を襲い、1人が死亡、2人が重傷を負うという惨事となりました。
小島は「刑務所で一生を過ごしたい」「無期懲役になりたい」という極めて自己中心的な動機から凶行に及び、裁判で無期懲役判決を受けると法廷で万歳三唱をするなど、その異様な言動も社会に大きな衝撃を与えました。

事件の全貌や加害者の生い立ち、動機の闇に迫ったノンフィクション『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』(インベカヲリ★著)は、なぜ彼がこのような事件に至ったのか、家族や社会との関係性を丹念に描き出しています。
新幹線という日常の安全神話が崩れた夜――その背景と教訓を、事件と書籍から見つめ直します。

目次

東海道新幹線車内殺傷事件】について

事件の経緯

車内の状況を描いた図

2018年6月9日、東海道新幹線「のぞみ265号」(東京発新大阪行き)が神奈川県内を走行中、新横浜駅と小田原駅の間で無差別殺傷事件が発生しました。

事件は21時45分ごろ、12号車の後方2列シートの左側に座っていた犯人・小島一朗は無言で立ち上がると、右隣の女性乗客を鉈で突然切りつけ、車内はパニックに陥りました。乗客たちが逃げ惑う中、梅田耕太郎さん(38歳)は決死の覚悟で加害者に立ち向かいます。

梅田さんは加害者の背後からそっと近づき、後ろから羽交い締めにして動きを制止。その間に女性乗客は肩から血を流しながらも後方へ逃げることができました。しかし、もみ合いの末に梅田さんは転倒。小島はその隙に通路を挟んだ左隣の女性にも襲いかかります。

倒れていた梅田さんはすぐに起き上がり、再び女性を守るために加害者を止めようとしました。もう一人の女性を後方に避難させた後、今度は小島に馬乗りになられ、鉈で容赦なく切りつけられます。梅田さんははじめは応戦していましたが、何度も切りつけられるうちに次第に動かなくなっていきました。

犠牲となった梅田耕太郎さん(当時38歳)

司法解剖の結果、梅田さんの体には胸や肩を中心に約60ヵ所もの傷があり、首には致命傷となる約18cmの深い切り傷がありました。特に首や胸など急所を執拗に狙われており、失血死でした。

梅田さんの勇気ある行動によって、女性2人は命を救われました。彼の自己犠牲的な行動は、現場にいた誰もが真似できるものではなく、多くの人々に深い感銘と尊敬を与えました。

犯行の動機

事件後に移送される小島

動機は、非常に自己中心的で計算されたものでした。彼は「刑務所で一生を過ごしたい」「無期懲役になりたい」という思いから、無差別殺傷事件を計画し実行しました。

小島は子どもの頃から「刑務所に入ること」を夢見ていたと語っています。社会や家庭での居場所を見いだせず、家族との関係も絶縁状態となり、孤独や生きづらさを強く感じていました。事件前には「餓死しよう」と山中に入ったものの、最終的に「刑務所に入れば一生安心して暮らせる」と考え直し、凶行に及びました。

裁判では、「三人以上殺すと死刑になるので、二人か一人と重傷者にしないといけない」と発言し、死刑を避けて無期懲役を狙ったことを明かしています。「命が惜しい」とも述べ、他人の命よりも自分の欲求を優先したことがはっきりしています。

また、小島は刑務所で模範囚になることや、長く安定した生活を送ることに強い執着を持っていました。彼は「刑務所は自分にとって修道院のようなもの」と語り、出所と再収監を繰り返すのではなく、一度で無期懲役になって“昇進”し、安定した立場を得たいと考えていました。

このように、小島の動機は「社会や家族からの孤立」「刑務所で守られたいという欲求」「死刑を避けて無期懲役を狙う計算」「他人の命より自己の安定を優先」という複数の要素が絡み合ったものです。全く面識のない人を襲ったのも、怨恨や怒りではなく、自分の目的を達成するためだけの手段だったといえます。

裁判と刑罰

法廷で万歳三唱する小島

2019年11月28日、横浜地裁小田原支部で初公判が開かれ、小島は「殺すつもりでやりました」と起訴内容を全面的に認めました。「無期懲役で永遠に刑務所に入りたい」と語り、反省や謝罪の言葉はありませんでした。

2019年12月18日の判決公判で、裁判長は「一生刑務所に入るためという動機は、あまりにも人命を軽視し身勝手だ」と指摘しつつも、若年で前科がなくパーソナリティ障害の影響があったことなどから死刑は回避し、求刑通り無期懲役を言い渡しました。小島は判決を聞くと「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」と万歳三唱し、控訴せず無期懲役が確定しました。

事件の影響

この事件は「走る密室」での無差別殺傷として社会に大きな衝撃を与え、公共交通機関の安全神話が崩れました。JR各社は警備員の増員や車内巡回、防犯・護身用具の配備、防犯カメラの設置強化など対策を進めています。2019年4月から「梱包されていない刃物類」の車内持ち込みが明確に禁止されました。乗務員教育や警察・消防との合同訓練も強化され、今後は高感度センサーや改札での凶器検知システムの導入も検討されています。

小島一朗の生い立ち

小島一朗(当時22歳)

小島一朗は1995年、愛知県岡崎市の母方の実家で生まれました。当時、両親は仕事の都合で別居しており、3歳で父親と姉が暮らす愛知県一宮市に移り、中学卒業まで両親や姉、父方の祖父母と6人で生活していました。5歳のとき発達障害(アスペルガー症候群)と診断され、幼少期から周囲とのコミュニケーションに苦しみ、家族も「育てにくい子供だった」と語っています。

家庭内には暴力や無理解が渦巻き、父親は時にDV的な態度をとり、母親はホームレス支援などに熱心で、家族のケアが十分に行き届いていませんでした。父方の祖母も「姉のご飯は作るが一朗のは作らない」といった扱いで、実質的に育児放棄されていたとされ、小島自身も強い孤独感や不満を抱いていました。姉との扱いの差も大きく、例えば姉には新品、自分には中古の水筒が与えられたことに腹を立て、包丁と金槌を両親の寝室に投げ入れる事件も起こしています。このとき父親は警察を呼び、それ以降「教育を放棄した」と語り、父子関係は完全に断絶。家庭内での居場所をますます失っていきました。

幼少期の小島一朗。明るい一面を見せていた

そんな中で、小島一朗が唯一心を許し、愛情を感じていたのが母方の祖母でした。母方の祖母は小島を特にかわいがり、思春期以降も小島にとって大きな心の拠り所となっていました。後に母親の提案で母方の祖母と養子縁組をし、祖母宅で生活するようになったのも、祖母の存在が小島にとって特別だったからです。

中学2年頃から不登校となり、14歳で自立支援施設に入所。定時制高校では成績優秀で卒業し、職業訓練校を経て埼玉県の機械修理会社に就職しますが、愛媛工場への転勤後に人間関係がうまくいかず約1年で退職。その後は地元で一人暮らしを始めるも半年で貯金が尽き、母方の祖母宅での生活が始まります。しかしここでも引きこもりがちで、生活態度を注意されると自殺をほのめかして家出を繰り返し、精神的に不安定な状態が続きました。

新たな就職先も短期間で退職し、2017年12月には「自由になりたい」と言い残して家出。長野県で野宿生活を送った末、2018年6月に新幹線車内での無差別殺傷事件を起こしました。

誕生日を祝う席での父親と小島一朗

事件後、父親は「私は生物学上のお父さんということでお願いしたい」と取材に語るなど、他人事のような態度が世間の違和感を呼びました。父親は「15歳で家を出てから一朗とは会っていない」「今は家族ではない」とも述べており、小島一朗に対して無関心で愛情が薄かったという証言も複数出ています。

このように、小島一朗は発達障害や家庭内の孤立、家族関係の歪み、社会との適応困難など、複数の困難を抱えながら成長する中で、唯一母方の祖母だけが彼を特別にかわいがり、心のよりどころとなっていました。しかし、その祖母宅でも孤独や不安定さを抱え続け、最終的に事件へと至ったことがうかがえます。

東海道新幹線車内殺傷事件】の関連書籍

『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』インベカヲリ

家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』を読んだ感想として、まず強く印象に残るのは、小島一朗という人物の「理解しがたさ」と、その背景にある家族関係の歪みです。彼は、無期懲役を望んで計画的に無差別殺傷事件を起こし、判決が出ると法廷で万歳三唱をするという、常識や倫理観から大きく逸脱した行動をとっています。

本書を通じて見えてくるのは、小島が決して「精神障害者」ではなく、ADHDや猜疑性パーソナリティ障害の診断はあるものの、極めて冷静かつ計画的に犯行に及んだという事実です。彼の手紙や発言はしばしば難解で、法律や古典の引用に満ち、細部に異様なこだわりを見せる一方で、知的な側面や言語能力の高さ、数学的な才能も垣間見えます。例えば、折り紙で複雑な多面体を即座に作り上げるエピソードは、彼の隠れた才能を物語っています。

家族関係については、父親の存在感の希薄さや、母親の「マザーテレサ」と呼ばれるほどの外向きの優しさと、家庭内の情緒的な欠落が強調されています。家庭内での暴力や無理解、食卓を囲むような温かい関係性の不在が、小島の孤立や歪みを生み出した根本的な要因として描かれています。両親や祖母、姉それぞれが「いるのにいない」存在として浮かび上がり、家族の誰もが自分自身や他者と真剣に向き合うことを避けてきたことが、彼の「生存権」への執着や刑務所を「理想の家庭」とみなす思考に繋がったのだと感じました。

著者は、小島の行動や思考を一方的に断罪するのではなく、彼の語る言葉や家族の証言を丁寧に拾い上げ、なぜ彼が「国家に親代わり」を求め、刑務所での生存権にこだわったのか、その根源に迫っています。無差別殺人という理不尽な暴力への怒りや悔しさは消えませんが、彼の実像を知ることで、単なる「悪魔」や「異常者」として片付けられない、社会や家族の問題が浮き彫りになります。

この本を読むことで、「なぜ小島一朗は無差別殺人犯になったのか」という問いを考えることは、私たち自身の社会や家族のあり方を問い直すことにつながると強く感じました。彼の歪みは特別なものではなく、家族や社会の小さなズレや無関心が積み重なった結果であり、誰もが無関係ではいられない問題だと痛感させられました。


特に、刑務所を「法律で生存権が保証される理想の場所」と捉える彼の思考は、家庭での生存権の欠如を逆説的に映し出しています。著者が3年かけて解き明かした「岡崎の家」の象徴性や、「国家=神=刑務所」という独自の論理は、現代社会の脆さを鋭く突くものでした。

東海道新幹線車内殺傷事件】まとめ

新幹線車内のイメージ

『東海道新幹線車内殺傷事件』で感じたのは、現代社会の「安全神話」がいかに脆いものであるかという現実です。新幹線という多くの人が日常的に利用する空間で、突然無差別に襲われるという事件は、多くの人に強い衝撃と不安を与えました。加害者である小島一朗の動機が「刑務所に入りたかった」「誰でもよかった」という、極めて自己中心的かつ虚無的なものであったことにも、深い絶望を感じます。

小島一朗の生い立ちや家庭環境についてを知ると、彼がなぜここまで孤立し、社会や家族とのつながりを失っていったのか、その背景が浮き彫りになります。幼少期から発達障害を抱え、家庭内では暴力や無理解、父方の祖母からの冷遇、両親の愛情不足など、居場所を見失い続けた人生だったことが伝わってきます。唯一心を許せた母方の祖母も、最終的には小島の孤独や不安定さを癒やしきれず、彼は社会に適応できないまま大人になってしまいました。

事件や書籍の感想として強く残るのは、加害者の異常性や冷徹さだけでなく、そこに至るまでの「誰にも気づかれず、誰にも救われなかった」孤独の深さです。家族や社会の小さな無関心や行き違いが積み重なり、やがて取り返しのつかない悲劇につながってしまう現実の重さを痛感します。もちろん、どんな理由があっても無差別殺傷という行為が許されることはありませんが、こうした事件の背景を知ることで、単に「悪」として断罪するだけでは見えてこない社会の課題や家族のあり方についても考えさせられます。

また、被害者や遺族の方々が突然理不尽に命を奪われた痛みや、日常の中で安全を脅かされる不安の大きさにも改めて胸が痛みます。事件をきっかけに鉄道の安全対策が見直されたことは当然ですが、同時に、社会の中で孤立する人や、支援からこぼれ落ちてしまう人をどう見つけ、どう支えていくかという課題も突きつけられていると感じました。

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