2016年7月、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、戦後日本最悪の大量殺傷事件が発生しました。元職員・植松聖による19人殺害、26人重軽傷というこの事件は、「障害者はいなくなればいい」という優生思想を動機に、日本社会に命の平等や共生社会のあり方について深い衝撃と議論をもたらしました。
この事件の全貌と社会への問いかけを記録したのが、神奈川新聞取材班によるノンフィクション『やまゆり園事件』(幻冬舎)です。本書は、植松死刑囚との37回に及ぶ接見や手記・イラスト、遺族や関係者の証言を通じて、事件の背景や優生思想の根深さ、「分断しない社会」「命の平等」とは何かを多角的に掘り下げています。
さらに、雨宮処凛による『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』は、全16回の裁判傍聴を通して、植松被告の言動や動機、遺族や社会の反応、そして現代日本における障害者差別や優生思想の問題をリアルに描き出しています。
日本で起きたこの事件と向き合うことは、私たち一人ひとりの命へのまなざしや社会観を問い直すことでもあります。
【相模原障害者施設殺傷事件】の詳細

2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、戦後日本最悪の大量殺人事件の一つとなる凄惨な事件が発生しました。同施設の元職員である植松聖(当時26歳)が刃物を持って施設に侵入し、入所者19人を刺殺、入所者・職員あわせて26人に重軽傷を負わせました。
事件当時、園には157人の入所者と夜勤職員8人が在園していました。植松は午前2時ごろ裏口から侵入し、職員を結束バンドで拘束したうえで、寝ている入所者の上半身を次々と刺しました。死亡したのは男性9人(41~67歳)、女性10人(19~70歳)で、ほとんどがベッドの上で発見されました。負傷者は入所者24人と職員2人で、重傷者も多く出ました。
犯行後、植松は自ら警察署に出頭し、「やまゆり園で起きた事件の犯人は私です。世界平和のためにやりました」と供述。逮捕後も「障害者はいなくなればいい」といった優生思想に基づく発言を繰り返し、社会に大きな波紋を広げました。

植松は、事件の数カ月前に「障害者を安楽死させるべきだ」といった内容の手紙を衆議院議長に送りつけ、措置入院となった経緯もありました。退院後に事件を起こしています。
この事件は、19人もの命が奪われたこと、加害者が元職員であったこと、そして「生産性」や「有用性」で命の価値を測る優生思想に基づく動機が明確に語られたことから、日本社会に深い衝撃と問いを投げかけました。犠牲者の多くが匿名で報道され、障害者差別や共生社会のあり方、命の平等についての議論が全国で巻き起こりました。
2020年1月から始まった横浜地裁での裁判員裁判では、植松は「重度・重複障害者を養うには莫大なお金と時間が奪われる」「障害者は社会にとって有害であり、意思疎通ができない人間は人間ではない」といった差別的な発言を繰り返し、自身の考えは“区別”であって“差別”ではないと主張しました。また、「重度障害者は生きている意味がない」「社会の役に立たない人間は不要だ」とも証言し、命の価値を「生産性」や「有用性」で測る優生思想を明確に語っています。

法廷では、「話せない入所者を狙って刺した」「しゃべれます」と職員が答えても「しゃべれないじゃん」と刺し続けたこと、「こいつらは生きていてもしょうがない」と発言していたことが明らかにされました。また、精神鑑定医による証言では、妄想的な発言や「自分は選ばれた人間である」「障害者を殺せばトランプ大統領が絶賛してくれる」などの異常な思考も指摘されています。
2020年3月16日、横浜地裁は「計画的かつ強烈な殺意に貫かれた犯行であり、悪質性も甚だしい」として死刑判決を言い渡しました。判決後、植松は「死刑は覚悟していたが、納得したわけではない」「懲役20年くらいが妥当だろう」とも語り、控訴は「自分がいってきたことと矛盾するのでしない」と述べ、死刑が確定しました。
津久井やまゆり園事件は、命の尊厳や社会の分断、障害者へのまなざし、そして「共に生きる社会」とは何かを、今もなお私たちに問いかけ続けている事件です。
植松聖の生い立ち

植松聖は1990年1月20日、神奈川県相模原市で一人っ子として生まれました。父親は東京都内の小学校で図工教師を務め、自治会活動にも積極的に参加しており、母親は漫画家という家庭環境でした。1歳のときに多摩平団地から現在の相模原市緑区千木良地区(事件現場の「津久井やまゆり園」から約600メートルの場所)に転居し、以後この地で育ちました。
小学校時代は地元の千木良小学校に通い、同学年や下級生に知的障害児がいたことが記録されています。低学年の頃、作文に「障害者はいらない」と書いたこともあったといわれています。中学は相模湖町立北相中学校(現・相模原市立北相中学校)に進学し、バスケットボール部に所属しながらも、友人とともに喫煙・飲酒・万引きや器物破損などの非行行為も経験しました。また、障害のある下級生を殴ったこともあったとされています。
高校卒業後は帝京大学文学部に進学し、小学校教員免許を取得しましたが、教師にはならず、卒業後は運送会社に就職。その後、2012年12月に「津久井やまゆり園」に非常勤職員として採用され、2013年4月からは常勤職員となりました。学生時代には障害者支援のボランティアや特別支援実習、学童保育所での勤務経験もあり、当初は「障害者はかわいい」「今の仕事は天職」と語っていたといいます。
しかし、勤務中に入所者の発作を救った際、家族から感謝されなかったことなどをきっかけに「障害者は社会に不要」という優生思想を強めていったとされています。
このように、植松聖は比較的安定した家庭環境で育ち、大学卒業後は福祉の現場で働いていましたが、次第に過激な優生思想に傾倒し、凶行に及ぶに至りました。
【やまゆり園事件】神奈川新聞取材班

『やまゆり園事件』(神奈川新聞取材班著、幻冬舎)は、2016年7月26日に神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で発生した大量殺傷事件の全貌を、地元紙記者が4年にわたり徹底取材したノンフィクションです。
元職員で犯人の植松聖死刑囚との37回に及ぶ接見記録や手記・イラストを収録し、彼の生い立ちや思想、事件の背景にある優生思想の問題を深く掘り下げています。また、被害者19人の実名は伏せられていますが、一人ひとりの人柄や遺族の思いを丁寧に描き、匿名裁判の問題点や社会の責任、共生社会の課題についても論じています。
本書は、事件の事実だけでなく、「命の平等」や「分断しない社会とは何か」を問いかける内容となっています。植松死刑囚の異常な思想だけでなく、社会の中に潜む優生思想や分断、そして私たち一人ひとりの意識や社会のあり方までを深く問う一冊です。
【相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ】雨宮処凛

『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(雨宮処凛著、太田出版、2020年)は、2016年7月に発生した相模原障害者施設殺傷事件――元職員・植松聖による19人殺害、26人重軽傷という戦後最悪の大量殺傷事件――の裁判を、著者が全16回にわたり傍聴し、その詳細な記録と考察をまとめたノンフィクションです。
本書は、2020年3月の死刑判決までの全公判を丁寧に追い、植松被告の言動や証言、被害者遺族や関係者の声、証人尋問や精神鑑定の様子などを、臨場感あふれる筆致で描いています。著者は「社会の役に立ちたい」と語る植松被告の動機と、「障害者はいらない」という排除思想のあいだにある矛盾や社会の闇に迫ります。
目次には、第1回公判から判決までの各公判の様子や、被告人質問、証人尋問、遺族・被害者家族の意見陳述、精神鑑定医の証言、そして判決言い渡しまでが詳細に記録されています。また、著者自身が植松被告と面会した際のやりとりや、裁判を通じて感じた社会の空気、障害者差別や優生思想、命の価値に関する考察も盛り込まれています。
巻末には、ノンフィクション作家・渡辺一史との対談も収録され、事件の本質や社会の課題について多角的に議論されています。
雨宮処凛は、貧困・社会運動・差別問題などをテーマに執筆・発信を続けてきた作家であり、本書でも「障害者ヘイト」と「役に立つ人間」という価値観の狭間で揺れる社会の現実を、傍聴記としてリアルに伝えています。
事件の経過だけでなく、現代社会における命の価値、障害者差別、そして「共生社会」のあり方を考えさせられます。
【相模原障害者施設殺傷事件】まとめ

『相模原障害者施設殺傷事件』で衝撃だったのは、19人もの命が一夜にして奪われたという事実の重さと、加害者が元職員であったことです。植松聖が「障害者はいなくなればいい」と優生思想を公然と語り、実際に大量殺人を実行したことは、日本社会に深い傷と問いを残しました。
記事や関連書籍では、植松の生い立ちや思想の変化、事件に至る経緯が詳細に描かれていますが、彼が「もともと普通の青年」だったことや、福祉現場での挫折や孤立が極端な差別思想へと転化していった過程は、単なる“異常者”の犯罪では片付けられない社会的な背景を感じさせます。
また、被害者が匿名で報道される現実や、障害者と家族の孤立、社会全体に潜む「選別」や「排除」の論理が、事件を“他人事”にできないものにしています。ネット上には「殺人はいけないが考え方は分からなくもない」といった声や、植松を“ヒーロー”視するような危険な意見も見られ、差別や優生思想が今も社会の中に根強く存在していることを痛感します。
記事や書籍は、「命の平等」や「共生社会」のあり方を改めて私たちに突きつけています。事件の背後には、障害者を“役に立つ・立たない”で線引きする社会的価値観や、福祉の現場の孤立、家族や支援者の苦悩、そして“包摂”や“共生”という理想と現実のギャップが浮き彫りになっています。
この事件は、単なる個人の犯罪ではなく、社会全体が抱える分断や差別、そして命の価値をどう考えるかという根本的な問題を私たちに問い続けています。読後、深い悲しみとともに、「自分の中にも差別や排除の心がないか」「本当に誰もが安心して生きられる社会とは何か」を考えずにはいられませんでした。
本の概要
■やまゆり園事件
出版社:幻冬舎 (2020/7/22)
発売日:2020/7/22
言語:日本語
単行本:376ページ
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■相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ
出版社:太田出版 (2020/7/18)
発売日:2020/7/18
言語:日本語
単行本(ソフトカバー):228ページ
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